2ntブログ
情報の真偽は自己責任☆
2008年05月03日 (土)
転載しろ。転載しろ。
今見た全てを転載しろ。
転載しろ、今聞いた全てを転載しろ。
作品に受けて感じて、動かされた心境を転載しろ。
世界に影響を受けた文学から転載しろ。
社会の影響を受けた音楽から転載しろ。
作者の心象を表現した絵画から転載しろ。
何かにすがる盲人の宗教から転載しろ。

一瞬を転載しろ。
一秒を転載しろ。
一刹那を転載しても、し尽くしても足りない足りない早さが足りない。

感動とは、一瞬だ。キモチとは刹那で爆発だ。

そのとき感じたことは、次の瞬間には過去の記憶と成り果てる。
それは劣化した感動だ。
劣化したものなんて、輝きも新鮮さも失われてしまったカスに過ぎない。
転載しろ、転載しろ。劣化する前に転載しろ。
今、こうして、文字を打ってる間も、脊髄が反射している間も。
呼吸してる、瞬きしてる、鼓動してる間に劣化する。
劣化する劣化する、感情が劣化する。
食われる食われる。
生まれた作品(感情)に食われてしまう。

今見た感動は、過去を思い返したときには、別の感動を生んでしまう。
そのとき見た感動は、そのときしか分からない、理解できない感動だ。

今を、今らしく、今のように、ありのままに転載しろ。
新鮮な感動のままに閉じ込めろ。
作品として、その場に閉じ込めてしまえ、書き残せ。
作品として、その場に押し込め、描き殴れ。
転載だ、転載だ、転載なんだ。

作品とは、メモ書きだ。
作品とは、辞書の綴りだ。

自分の作品を見て、誰がどう見て、どう判断しようとも。
自身の作品を知って、誰がどうして、どう使用しようとも。

そんなの気にすることではない。
むしろ、勝手にやればいい。
世界の作品に影響されるように、書きなぐりの搾りカスに影響されればいい。
転載された作品によって食われてしまえば、それでいい。

転載された作品に食われて、どうしようと気にはしない。
作品で知った情報を用いて、人が人を殺そうと構いはしない。
作品で知った感動を通じて、人が人を救おうと構いはしない。

作品に食われる?
作品が人を食っている?

作品に食われたからやりました。
あの作品を見た影響でやりました。

勝手に、文学、ゲーム、漫画、音楽、絵画、建築、宗教のせいにするのも構わない。

こんな自分の作品に影響されて、人を殺したり、救ったりする程度の人など気にしてられない。
そんな流行に流されやすい連中は、こんな自身の作品以外で十二分に心動かされ同じコトをする連中だ。

そんなのは知ったことじゃないし、どうでもいい。
意味があるかは、専門学者に任せておけばいい。
自分が興味があるのは、作品に影響された結果に生み出された転載物だけだ。
自身が知りたいのは、転載物によって生じる世界のあり方だけだ。
重要なのは、どんな作品に影響されてどんな作品を転載するかだけだ。

転載が転載を生む流れを見ることに意味がある。
転載(自分)が転載をし、転載された転載物(作品)がまたさらに他者を転載(食いつぶ)す。
その転載物(食いつぶし)が、さらなる転載を生み、その転載が、さらに別の転載を生む。
転載が転載をして、転載せしむこの世の中をさらに転載し、転載が回る転載に転載を通じて転載する。

その転載物をさらに、自身が転載し、新たな価値観を加えよう。
自分の価値観を変えた、転載物に彩りを加えて、また転載し、さらに転載の螺旋を紡ぐ。

この世は、転載物。
誰かが作って、誰かが影響させて、その影響によって、生まれた転載物が人を食いつぶす。

転載に始まり、転載が転載を転載し転載に終わった転載がまた転載を再開する。
答えが出るか、答えが出ないかは分からない。

きっと、答えが出ないのが答えだろう。

しかし、この『流れ』を知れば、この流れを見れば、この転載を繰り返せば、分かるはずだ。

人は何か。
自分は何か。
全てとは何か。真理は何か。

転載を通じて、人が蔓延る(生きよう)が、人が絶滅(死のう)が関係ない。

そうなる過程と転載物(作品)を通じて、どんな末路を辿るのか。

答えが知りたいだけだ。
そのための転載であって、どんな結果を起こすかなんて、どうでもいい。

重要なのは、ただ一つ。
『人とは何か』ということを知ることだけだ。

作品(転載物)とは、世界を知るための道具にしか過ぎない。

それを誰が見て、どういった解釈をするのかなど気にはしない。
それを評価しようが、蔑もうがどうでもいい。
これは自分に対するメモ書きだ。
自身を考察するためだけの、辞書の意味しかありはしない。

誰が見て。誰が使って、誰がどうカンジようと、どうしようと気にはしない。
勝手に食われて、勝手に変わって、勝手におかしくなればいい。

――この世は既におかしい。
オカシイものが、これ以上、可笑しくなろうと、何がオカシイ。

おかしいことがフツーであって、"アレ〟な状況が正常な世界だ。

人を殺すヤツは、持って生まれた得で殺すだけ。
人を救うヤツは、持って生まれた徳で活かすだけ。

ただ、それだけだ。
タダそれだけにしか過ぎない。

【作品(道具)が悪いのではない。
 作品(転載物)に影響されたという被害者面してる"アレ〟な輩が悪いだけ】

以上で終わり。
異常が始まり。

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「とまぁ、以上が、『作品に食われた作家』の都市伝説(ウワサ話)ってヤツ」

≪どうだった?≫と尋ねる、『ショートへア』。


「……とりあえず、言いたいことは、『どうしてこの都市(街)は、『災害認定レベル』の"アレ〟ばっか』なんだよって、言いたいね。いや、言ってやる!」

と、『ツインテール』が『やれやれ顔』で。

「……とりあえず、事件の名前をつけるとしたら、【転載する天災(オープンエンド)】ってところかな」
 
≪嗚呼、なんでこの街に来るハメになったんだろう≫と、『ツインテール』が『溜息交じり』で。
≪『終わりがないのが終わり』って『シリ/めつれつ』だよね≫と、『ショートヘア』が『のほほん』と。

――そんな某ファミレスのいつもの光景。今日も今日とて、いつもの如くのウワサ日和のGW。


【転載する天災(オープンエンド)】(了)

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