2006年03月18日 (土)
リトルカンパニー(朝飯前に)
風の音。
それは優しいものではなく、風雨を伴う激しいもの。
木々や建物は揺さぶられるというより跳ね飛ばされているに近い。
横殴りの散弾染みた雨粒がめり込み、削り、構成を破壊する。
破片は地面に落ちる前に荒れすさぶる烈風に撫でられ塵に消える。
見覚えのある街並みが弱いものから崩れて消える。
荒れ狂う嵐の中、塵にならずに舞い狂い飛び交う破片を避けながら二つの巨体が疾走する。
二階建ての人家を基準にしても引けをとらない金属で出来た人型の機体。
一つは白く、一つは黒い。
その両方が豪風飛び交う破片をかわしながら走る。
両の機体と同質量か同体積かそれ以上のものが弾丸の速度で飛んでくる。
機体の速度と破片の速度を合わせれば軽く相対速度は300kmを超えているだろう。
瓦礫の礫を飛んでかわし、次に来る物を下にダッキングして抜ける。
その直ぐ後にまた次の飛来物がやってくる。
顔を上げた白い機体の眼前に破砕物が飛んでくる。
その形状は黒くごつごつしていている。舗装してあった道路が風や飛来物に耐えられずもげたのか。
――ぶつかる。
その瞬間、白の機体は瞬間よりもなお速く左腰に手をやり薄い機殻で覆われた柄を引き出し、振り切る。
柄先から強く紅い光が生まれ、残光と共に飛来物は真っ二つに切断され、白の機体は何事もなかったように全くの停滞も減速も無くさらに加速する。
「――ひどいな。ちょっと前あそこで買い物してたなんて信じられない」
狭い室内で座席に座った男が淡い青や赤色の数字や記号を映すモニターに顔を照らされながら呟く。
その顔は若く、くたびれた作業着を着ている。
左肩に刺繍があるようだが擦り切れて文字は読めない。
モニターとは別の外の風景を映す大型プロジェクターの隅々まで眼を走らせている。
「はは、たしかにな。あそこの果物屋のババァのツケまだ払ってないのに。踏み倒しちまったな。悪気は無いので勘弁してくれババァ! 次に会ったら払うんで成仏してくれよ」
大型プロジェクターの左横の空間にぱっと、画面が浮かび像を結ぶ。
これも同じく作業着を着た短髪の男が無責任なことを言う。無精ひげを生やした角ばった顔だが肌の艶は若い。サングラスにモニターの青い光が反射する。
「死んでたら金払えないだろ。相変わらずお前バカだろ! こんな時までバカだろ馬鹿!」
「馬鹿ってなんだ!? 俺はいつでもサイコーだぜ! つうか、馬鹿ってやつが馬鹿なんだよ!
誰のせいでこんなことになってると思ってるんだ。全部お前のせいだろ! 馬鹿!」
サングラスの男が怒鳴る。モニターに顔を近づけて力いっぱいに。
「オレのせいって……! ちがうだろ。お前の単純脳細胞じゃそんなことになってるかもしれないけど不可抗力ってやつだ。オレ達がなんとかしなきゃならないってのはあるがここにお前がいるのはお前の意志だろ!」
少しの沈黙。グラサンは少し考えて、そして、何かをひらめいたように自信満々な表情へと変わる。
「はっ、当たり前だろ。オ・マ・エに今更言われるまでもない。俺がここにいるのはな俺がいたいからだ。 誰がお前のためなんかにいてやるか。俺は俺がしたいことをやるだけだ。そう、アイツを守るために!」
「俺が痛いから? そりゃお前は痛いよ。つうか痛すぎて笑える。さっきからオレオレ連呼してるし。まるでオレオレ詐欺だな。それはそうとアイツって誰だ? ん? ほら、言ってみろ。誰にも言わないから」
オレは意地悪いな表情でモニターに頭を振ってみせる。
「いや、今のは別に……」
「ん? 何? 聞こえんなぁ? さっきまでの威勢はどうしたんだ」
「ぐぐ……うるせぇ! アイツはアイツに決まってんだろ。それ以上でもそれ以下でもねぇ。俺はアイツのことが……」
そういったグラサンの男は黙りこむ。いつも馬鹿みたいに周りのこと考えずに騒がしいのにこっちのことはホントダメなやつだ、まったく。だから、敢えて、俺はからかう。この機会を逃すのは勿体無い。
「おいおい、顔を真っ赤にして言うセリフかよ。いい歳こいていつものノリもこっちにはシャイだな。死亡フラグ立ちまくり。つうかそのサングラスなんだ? お前いつもそんなもんつけてないだろ?」
「ん? これか」
グラサンはサングラスを指差しながら歯剥いて笑う。
「これは、あれだ。フラッシュ除けだ。ひでぇ嵐だろアソコは。だから、眼が眩まないようにって準備さ。
どうだ凄いだろ? さすが俺」
「自身満々なとこ悪いが、それじゃ計器見えないだろ? タダでさえコクピットって暗いんだぞ?」
そう俺が言うと、グラサンはきょろきょろと周囲を見渡す。左や右をじーっと、見回し、上から下へとゆっくりと眺め回す。
「って、お前話そらしやがって! 俺の恋路をお前にどうこう言われる筋合いは無いんだよ! お前のほうこそどうなってんだ? ちゃんとけじめつけ来たのか? 返事はイエスかノーか。どっちなんだ!?」
いきなり怒鳴るグラサンが怒鳴る。ちゃんとサングラスを外しながらってのが笑いを誘う。
「はは。こっちはこっちさ。お前なんかにいちいち言う必要ないだろ。アイツは――」
そう言いかけると俺は操縦桿をきる。操縦桿と言っても、機械やコードで覆われた四角い箱状のケースに二の腕ほど突っ込ませ中のゲル状の液体を握り込みイメージを送る。どういった原理か結局今までわからなかったが、結果は起きる。俺のイメージ通りに俺が操る人型の機体は後ろへと飛ぶ。
モニター越しに映る外の風景は先程、俺の機体が居た位置に巨大な赤いレンガ造りの建物の残骸が突き刺さっている。それにはひしゃげた看板が打ちつけられ【フルーティー・トミノ】と銘が入っている。
「ババァの祟りかよ」
角ばった顔がにやけた顔で呟く。すぐに反論したくなるが、眼が笑ってないことに気づき止める。
「もう何やってるのよ! グズグズしない。私達がやらないといけないこと判ってるでしょ?」
「なんだ居たのかお嬢? 全然喋らないからてっきり寝てるのかと思った」
俺は角顔の隣に出た別の立体像に眼を向けると、ゴーグルを分けた栗色の前髪の上に乗せた少女が不機嫌そうにキーボードを叩いている。
「ずっと居たって……。誰のおかげでここに君達がいれると思ってるの。マダムが計算して送ってくれた統計データを元に機体周辺の気圧や温度、重力なんかの膨大なデータを打ち込んで安定化してるんだから。もし、私がいなかったらこの機体でも直ぐに圧壊して君達ぺちゃんこなんだから。暇じゃないの!」
「たしかに暇じゃなさそうだけど何でオチゲーなんだ? 上から降ってくる赤やら青、黄の色がついた丸いゲル状の物体を積んで似た色を隣接させるとくっついて4つ並ぶと消えるって……」
角ばった男が少女の画面に現れる。まぁ、あちらの機体は二人乗りだから当然か。
焦ってる時に呂律が回らず、彼女の癖の『だから』を連呼してるところを見ると確かにやばそうだ。
「細かいツッコミは無し! イホリンが送ってきたサポートデータがこれなんだから仕方ないでしょ。赤が温度で青が重力、黄色が電気、紫が気圧、緑がその他の統計球をくっつけて連鎖起こしながら機体を維持して……ってうわ、不味いピンチかも!? 3列目のネクスト球が画面左から落ちてくる場所がどんどん詰まってきて、BGMがなんかヘビーロックな32ビートに!!」
少女は慌てながらキーボードを物凄い速さでカタカタと弾く。外部音声を拾うスピーカーから入る嵐よりもうるさく聞こえる。
「わかった、わかったから落ちつけ。お前は出来るってお嬢。あのゲンじぃの助手だろ。もっと自信を持てよ」
俺は機体を高速で進みながら、別の立体像画面に映された彼女がやってるオチゲーもどきに目をやると、六法全書並の細かい球が17インチほどの画面に所狭しと並べられ積み上げられている。途端に眼に疲れを感じる。
「イホリンもこんな時まで性格悪いな」
「お、珍しく気があったな。ヘナチョコ。こんな時だから楽しんでるんじゃないのか?」
「うるせぇ、お前とは死んでも同じこと考えたくないぜ、老け顔」
俺はそういうと苦笑。スピーカーからは悪態と罵倒が続くがとりあえず無視を決め込む。
程なく鈍い音と、
「うるさい、馬鹿!」
というお嬢の声と共にフケ顔は静かになる。
俺はそのやり取りを耳にしながら苦笑。呆れではなく安堵の溜息。
「こいつら本当に毎度毎度バカやってウザくて……いつまで立ってもテンション下がらないな」
「全くその通りと」
透き通った音声がスピーカーから返ってくる。しかし、声帯を震わしていないのか抑揚の無い音。
「ちっ、今日はどいつこいつも。俺と同意権かよ、まったく。
イホリン、こんな時だからってお前。分相応を弁えるタマじゃないだろ? お前らしくも無い」
微笑がかえる。先程と同じでフラットな音に聞こえるが感情が読み取れる。
「ラジャ、仰せのままに。こんな時だからシリアスに決めようと思ったんですが。
いつものイホリンが言いと申されるのでしたら存分にやろうかと。OK、ベイビ?」
「ああ、OKだ。さっさと終わらせてやる。祭りのフィナーレだ。
これで上手くいくかはわからない。――でも、オレ達がやることでアイツがなんとかしてくれる」
「ヒューヒューと。言っておきます。
さすがラブラブですね。物凄い信頼振りです。何処まで言ったんですか?
ここは明らかにしてもらわないと」
スピーカーから流れる音と共に追加されていく会話ログが映る右の立体モニターにちらりと眼をやると、異常な数のログが書いてある。イホリンやフケ顔、お嬢だけでなく、マダムやボスのものまである。その全てがさっさとことの真相を言えと促している。というか命令形。ホント、こいつらはこんなことばっか楽しむ馬鹿ばっかだ。
だから、そう思ったことを口にする。
「馬鹿、オレ達はそんなんじゃねぇよ。アイツがどう思ってようと、オレはな……オレ達の関係はな――」
そう言い切ると俺はモニターを見た。
操縦桿に意志を告げ、画面を思い切り引いて眼に映る光景を眺める。
モニター越しとはいえ、自分の眼で見ているのと全く変わらないそれを見据える。
ただ、それは大きかった。
それ以上に言いたいことも頭に過ぎった。でも、『大きい』その言葉の前に全てはどうでもよく感じた。
目の前の視界に入りらないそれが眼を向ける。
どんな眼をしているのかわからない。吹き荒れる風と迸る雷鳴の嵐の中でも燃える様な紅い光が強烈に輝く。
こちらを睨むかのように絞られる双眸。
その途端、轟音が響く。
双眸の下部から圧縮した空気を打ち出すように周囲の雨粒や飛来物を吹き飛ばしながらの衝撃波。
スピーカー越しではない雄叫び。耳を劈く高音と機体を揺さぶり、そのまま肉体自体を振動させる地響き。昔の耳の不自由な音楽家がピアノに頭をつけたり、ライブは生が良いなんていうのはきっとこれのことなんだろう。
体で音を聞くというのはまさにこのことだ。ビリビリと内臓を揺さぶられ腰が引ける。
額から汗が落ち頬を垂れ首筋へと落ちていく。
背中に氷を入れたような悪寒と内から燃え上がる熱と前進が総毛立つ不快感。
忘れたつもりでいた、何度も捨てて気づかないようにしてた恐怖感が再び、俺を襲う。
今更ながらに俺達が今からしようとすることは馬鹿げていると思う。
できるなら逃げたい。今までも何度もそう思った。挫折する度、思い通りにならない度に。
その度に何度も悩んで、何かのせいにして自分が悪くないとして逃げてきた。
逃げる度に打ちのめされたやるせなさが胸に巣食い、グジグジと痛んだ。痛みに慣れる頃合にまた別の何かがやってきて古傷を抉り、いつまでも痛む罪悪感。俺にできることと、できないこと。全ては明確でわかりきってる。
「でも、周りは俺に期待して……」
小声で呟く。口内が乾いてカラカラなのがわかる。
俺はまた同じことを繰り返すのか。ここでもまた逃げるのか。さっきまで俺は自分の意志でここに来ていたのに。
「俺の決意なんてそんなもんだったのか。俺の意志なんてそんなちっぽけなもんだったのか……」
「――自己嫌悪モードのところ失礼します。少しログ見て欲しいと」
イホリンの声に促され眼を向ける。
絶えず更新されていくログモニター。イホリンが周囲の情報を知覚し、取捨選択した会話の数々。
その最後の末尾にはこうあった、見覚えのある名前で。俺は震える口で音読する。
「――そうよ、アンタはちっぽけな存在よ! どうしようも無いくらいのどうでもいいくらいのね。
アンタが何をしようとどうしようと別に誰もなんとも思わない。もし、他の誰かがアンタに期待しようと私は何も期待しない。どうせ、またいつもみたいに言い訳考えて逃げようとしてるんでしょ。
私はそんなアンタのどうしようもないとこ嫌いなの。
――特にそう思ってるときに限ってアンタは何かやってくれるとことかね!
だから――」
そこでログは途切れる。きっと周囲の過酷な状況変化でイホリンの知覚に障害が起きているのだろう。知覚した情報を瞬時にマダムに送り、統計化後、お嬢に渡すのがメイン。他はあくまでオマケでしかない。情報過多で警告アラームがログの所々に浮かんでるくせに気遣いを遣すイホリンに感謝する。
「――だからか。ありがとな、イホリン」
「否、私ではなく彼女に感謝するべきかと」
俺は答えず苦笑で歯を噛む。もうさっきまでの震えは収まっている。
「――まぁ、元気出せよな。フラグ立ちまくりだったのにドンマイ。
よっしゃ、ヘタレが"フラれた"のを見届けたことだしいっちょ、八つ当たりに行くぜ!!」
「今の何処をどうみたらそんな展開になるのよ!? さすが君は馬鹿だね。キングオブ馬鹿!」
「そう! 俺はキングだ。だから俺最高 ……って馬鹿じゃねぇ――ッ!!
って、何笑ってるんだヘナチョコ!」
「フケ顔が馬鹿だからだと判断しますと。マダムの統計では99.その後に9が果てしなく並んで……
めんどいので100%とします。いいですね? いいですか。では、決定と」
「くぉら! イホリン、お前も喧嘩売ってるのか! 難しい言葉並べて馬鹿にして!」
「否、単純に判りやすい言葉で馬鹿に説明しているだけですっと」
ナーバスな展開からいつもの馬鹿騒ぎを始めた面々に俺はたまらず声を出して笑う。さっきまでの憂鬱が嘘のようだ。これから俺がやることで結果はどう変わるかわからない。最高の結果になるかもしれないし、最悪の結果が訪れるかもしれない。
でも、誰も何も期待していない。ただ、居たいから、何かやりたいからここに居る。自分の意志で何かをやり遂げたい。ただそのために好きでこの場にいる。
「アハハハ、笑いすぎて腹が。もうこれ以上お前らやめとけって。戦って死ぬ前に、笑い死ぬ。お前ら本当に有り難いよ。さっさと終わらせて早めの朝飯にしようぜ。それとな――」
俺は再び、白い機体を走らせると巨大な無数のいびつに歪んだ鱗で覆われ、雲を帯び、風と雷雨を生む敵に挑む。
その後に黒の機体が続く。
近づくにつれ増す、異常と嵐を生む現象『竜』に挑む。
マダムの統計やその他の歴史的記録からも結果は明白。敗北=失敗確率はさっきフケ顔が馬鹿だという話で出ていたのと同じもの。そうだとわかっていても、いや、わかっているからこそ俺達はこの場にいるんだ。
結果はわかっている
でも、それは苦じゃない。昔とは違う。昨日とは違う。さっきとも違う。
俺は自分の意志でここにいる。誰の強制も期待も無く。
――俺はここに来て
――こいつらと出会って
――アイツと出会って
――だから、俺は、
「さっき話の流れでうやむやになってたけどな。俺とアイツはな……」
そういうなり白と黒の機体は濃密な雲へと消えた。
今だ吹き荒れる嵐の真っ只中へと。
それと同時、寂れ、煩雑な機械や部品、本が散らばる窮屈な室内のコンソールと、
そこより遠く、嵐の影響の少ない荒地で声を張り上げ人々を先導する少女が首から提げた携帯の画面の二つにはこう映った。
『――ただの友達さ』
それに気づき、眼を窄め、潤ませ、視線を落とす。
しかし、すぐに目元を拭い、強気の顔に戻し、少女はそっと呟いた。
「――バカ」
その声は遠くとも一頻り強く吹いた風の音にかき消される。
『リトルカンパニー(朝飯前に)』(了)
風の音。
それは優しいものではなく、風雨を伴う激しいもの。
木々や建物は揺さぶられるというより跳ね飛ばされているに近い。
横殴りの散弾染みた雨粒がめり込み、削り、構成を破壊する。
破片は地面に落ちる前に荒れすさぶる烈風に撫でられ塵に消える。
見覚えのある街並みが弱いものから崩れて消える。
荒れ狂う嵐の中、塵にならずに舞い狂い飛び交う破片を避けながら二つの巨体が疾走する。
二階建ての人家を基準にしても引けをとらない金属で出来た人型の機体。
一つは白く、一つは黒い。
その両方が豪風飛び交う破片をかわしながら走る。
両の機体と同質量か同体積かそれ以上のものが弾丸の速度で飛んでくる。
機体の速度と破片の速度を合わせれば軽く相対速度は300kmを超えているだろう。
瓦礫の礫を飛んでかわし、次に来る物を下にダッキングして抜ける。
その直ぐ後にまた次の飛来物がやってくる。
顔を上げた白い機体の眼前に破砕物が飛んでくる。
その形状は黒くごつごつしていている。舗装してあった道路が風や飛来物に耐えられずもげたのか。
――ぶつかる。
その瞬間、白の機体は瞬間よりもなお速く左腰に手をやり薄い機殻で覆われた柄を引き出し、振り切る。
柄先から強く紅い光が生まれ、残光と共に飛来物は真っ二つに切断され、白の機体は何事もなかったように全くの停滞も減速も無くさらに加速する。
「――ひどいな。ちょっと前あそこで買い物してたなんて信じられない」
狭い室内で座席に座った男が淡い青や赤色の数字や記号を映すモニターに顔を照らされながら呟く。
その顔は若く、くたびれた作業着を着ている。
左肩に刺繍があるようだが擦り切れて文字は読めない。
モニターとは別の外の風景を映す大型プロジェクターの隅々まで眼を走らせている。
「はは、たしかにな。あそこの果物屋のババァのツケまだ払ってないのに。踏み倒しちまったな。悪気は無いので勘弁してくれババァ! 次に会ったら払うんで成仏してくれよ」
大型プロジェクターの左横の空間にぱっと、画面が浮かび像を結ぶ。
これも同じく作業着を着た短髪の男が無責任なことを言う。無精ひげを生やした角ばった顔だが肌の艶は若い。サングラスにモニターの青い光が反射する。
「死んでたら金払えないだろ。相変わらずお前バカだろ! こんな時までバカだろ馬鹿!」
「馬鹿ってなんだ!? 俺はいつでもサイコーだぜ! つうか、馬鹿ってやつが馬鹿なんだよ!
誰のせいでこんなことになってると思ってるんだ。全部お前のせいだろ! 馬鹿!」
サングラスの男が怒鳴る。モニターに顔を近づけて力いっぱいに。
「オレのせいって……! ちがうだろ。お前の単純脳細胞じゃそんなことになってるかもしれないけど不可抗力ってやつだ。オレ達がなんとかしなきゃならないってのはあるがここにお前がいるのはお前の意志だろ!」
少しの沈黙。グラサンは少し考えて、そして、何かをひらめいたように自信満々な表情へと変わる。
「はっ、当たり前だろ。オ・マ・エに今更言われるまでもない。俺がここにいるのはな俺がいたいからだ。 誰がお前のためなんかにいてやるか。俺は俺がしたいことをやるだけだ。そう、アイツを守るために!」
「俺が痛いから? そりゃお前は痛いよ。つうか痛すぎて笑える。さっきからオレオレ連呼してるし。まるでオレオレ詐欺だな。それはそうとアイツって誰だ? ん? ほら、言ってみろ。誰にも言わないから」
オレは意地悪いな表情でモニターに頭を振ってみせる。
「いや、今のは別に……」
「ん? 何? 聞こえんなぁ? さっきまでの威勢はどうしたんだ」
「ぐぐ……うるせぇ! アイツはアイツに決まってんだろ。それ以上でもそれ以下でもねぇ。俺はアイツのことが……」
そういったグラサンの男は黙りこむ。いつも馬鹿みたいに周りのこと考えずに騒がしいのにこっちのことはホントダメなやつだ、まったく。だから、敢えて、俺はからかう。この機会を逃すのは勿体無い。
「おいおい、顔を真っ赤にして言うセリフかよ。いい歳こいていつものノリもこっちにはシャイだな。死亡フラグ立ちまくり。つうかそのサングラスなんだ? お前いつもそんなもんつけてないだろ?」
「ん? これか」
グラサンはサングラスを指差しながら歯剥いて笑う。
「これは、あれだ。フラッシュ除けだ。ひでぇ嵐だろアソコは。だから、眼が眩まないようにって準備さ。
どうだ凄いだろ? さすが俺」
「自身満々なとこ悪いが、それじゃ計器見えないだろ? タダでさえコクピットって暗いんだぞ?」
そう俺が言うと、グラサンはきょろきょろと周囲を見渡す。左や右をじーっと、見回し、上から下へとゆっくりと眺め回す。
「って、お前話そらしやがって! 俺の恋路をお前にどうこう言われる筋合いは無いんだよ! お前のほうこそどうなってんだ? ちゃんとけじめつけ来たのか? 返事はイエスかノーか。どっちなんだ!?」
いきなり怒鳴るグラサンが怒鳴る。ちゃんとサングラスを外しながらってのが笑いを誘う。
「はは。こっちはこっちさ。お前なんかにいちいち言う必要ないだろ。アイツは――」
そう言いかけると俺は操縦桿をきる。操縦桿と言っても、機械やコードで覆われた四角い箱状のケースに二の腕ほど突っ込ませ中のゲル状の液体を握り込みイメージを送る。どういった原理か結局今までわからなかったが、結果は起きる。俺のイメージ通りに俺が操る人型の機体は後ろへと飛ぶ。
モニター越しに映る外の風景は先程、俺の機体が居た位置に巨大な赤いレンガ造りの建物の残骸が突き刺さっている。それにはひしゃげた看板が打ちつけられ【フルーティー・トミノ】と銘が入っている。
「ババァの祟りかよ」
角ばった顔がにやけた顔で呟く。すぐに反論したくなるが、眼が笑ってないことに気づき止める。
「もう何やってるのよ! グズグズしない。私達がやらないといけないこと判ってるでしょ?」
「なんだ居たのかお嬢? 全然喋らないからてっきり寝てるのかと思った」
俺は角顔の隣に出た別の立体像に眼を向けると、ゴーグルを分けた栗色の前髪の上に乗せた少女が不機嫌そうにキーボードを叩いている。
「ずっと居たって……。誰のおかげでここに君達がいれると思ってるの。マダムが計算して送ってくれた統計データを元に機体周辺の気圧や温度、重力なんかの膨大なデータを打ち込んで安定化してるんだから。もし、私がいなかったらこの機体でも直ぐに圧壊して君達ぺちゃんこなんだから。暇じゃないの!」
「たしかに暇じゃなさそうだけど何でオチゲーなんだ? 上から降ってくる赤やら青、黄の色がついた丸いゲル状の物体を積んで似た色を隣接させるとくっついて4つ並ぶと消えるって……」
角ばった男が少女の画面に現れる。まぁ、あちらの機体は二人乗りだから当然か。
焦ってる時に呂律が回らず、彼女の癖の『だから』を連呼してるところを見ると確かにやばそうだ。
「細かいツッコミは無し! イホリンが送ってきたサポートデータがこれなんだから仕方ないでしょ。赤が温度で青が重力、黄色が電気、紫が気圧、緑がその他の統計球をくっつけて連鎖起こしながら機体を維持して……ってうわ、不味いピンチかも!? 3列目のネクスト球が画面左から落ちてくる場所がどんどん詰まってきて、BGMがなんかヘビーロックな32ビートに!!」
少女は慌てながらキーボードを物凄い速さでカタカタと弾く。外部音声を拾うスピーカーから入る嵐よりもうるさく聞こえる。
「わかった、わかったから落ちつけ。お前は出来るってお嬢。あのゲンじぃの助手だろ。もっと自信を持てよ」
俺は機体を高速で進みながら、別の立体像画面に映された彼女がやってるオチゲーもどきに目をやると、六法全書並の細かい球が17インチほどの画面に所狭しと並べられ積み上げられている。途端に眼に疲れを感じる。
「イホリンもこんな時まで性格悪いな」
「お、珍しく気があったな。ヘナチョコ。こんな時だから楽しんでるんじゃないのか?」
「うるせぇ、お前とは死んでも同じこと考えたくないぜ、老け顔」
俺はそういうと苦笑。スピーカーからは悪態と罵倒が続くがとりあえず無視を決め込む。
程なく鈍い音と、
「うるさい、馬鹿!」
というお嬢の声と共にフケ顔は静かになる。
俺はそのやり取りを耳にしながら苦笑。呆れではなく安堵の溜息。
「こいつら本当に毎度毎度バカやってウザくて……いつまで立ってもテンション下がらないな」
「全くその通りと」
透き通った音声がスピーカーから返ってくる。しかし、声帯を震わしていないのか抑揚の無い音。
「ちっ、今日はどいつこいつも。俺と同意権かよ、まったく。
イホリン、こんな時だからってお前。分相応を弁えるタマじゃないだろ? お前らしくも無い」
微笑がかえる。先程と同じでフラットな音に聞こえるが感情が読み取れる。
「ラジャ、仰せのままに。こんな時だからシリアスに決めようと思ったんですが。
いつものイホリンが言いと申されるのでしたら存分にやろうかと。OK、ベイビ?」
「ああ、OKだ。さっさと終わらせてやる。祭りのフィナーレだ。
これで上手くいくかはわからない。――でも、オレ達がやることでアイツがなんとかしてくれる」
「ヒューヒューと。言っておきます。
さすがラブラブですね。物凄い信頼振りです。何処まで言ったんですか?
ここは明らかにしてもらわないと」
スピーカーから流れる音と共に追加されていく会話ログが映る右の立体モニターにちらりと眼をやると、異常な数のログが書いてある。イホリンやフケ顔、お嬢だけでなく、マダムやボスのものまである。その全てがさっさとことの真相を言えと促している。というか命令形。ホント、こいつらはこんなことばっか楽しむ馬鹿ばっかだ。
だから、そう思ったことを口にする。
「馬鹿、オレ達はそんなんじゃねぇよ。アイツがどう思ってようと、オレはな……オレ達の関係はな――」
そう言い切ると俺はモニターを見た。
操縦桿に意志を告げ、画面を思い切り引いて眼に映る光景を眺める。
モニター越しとはいえ、自分の眼で見ているのと全く変わらないそれを見据える。
ただ、それは大きかった。
それ以上に言いたいことも頭に過ぎった。でも、『大きい』その言葉の前に全てはどうでもよく感じた。
目の前の視界に入りらないそれが眼を向ける。
どんな眼をしているのかわからない。吹き荒れる風と迸る雷鳴の嵐の中でも燃える様な紅い光が強烈に輝く。
こちらを睨むかのように絞られる双眸。
その途端、轟音が響く。
双眸の下部から圧縮した空気を打ち出すように周囲の雨粒や飛来物を吹き飛ばしながらの衝撃波。
スピーカー越しではない雄叫び。耳を劈く高音と機体を揺さぶり、そのまま肉体自体を振動させる地響き。昔の耳の不自由な音楽家がピアノに頭をつけたり、ライブは生が良いなんていうのはきっとこれのことなんだろう。
体で音を聞くというのはまさにこのことだ。ビリビリと内臓を揺さぶられ腰が引ける。
額から汗が落ち頬を垂れ首筋へと落ちていく。
背中に氷を入れたような悪寒と内から燃え上がる熱と前進が総毛立つ不快感。
忘れたつもりでいた、何度も捨てて気づかないようにしてた恐怖感が再び、俺を襲う。
今更ながらに俺達が今からしようとすることは馬鹿げていると思う。
できるなら逃げたい。今までも何度もそう思った。挫折する度、思い通りにならない度に。
その度に何度も悩んで、何かのせいにして自分が悪くないとして逃げてきた。
逃げる度に打ちのめされたやるせなさが胸に巣食い、グジグジと痛んだ。痛みに慣れる頃合にまた別の何かがやってきて古傷を抉り、いつまでも痛む罪悪感。俺にできることと、できないこと。全ては明確でわかりきってる。
「でも、周りは俺に期待して……」
小声で呟く。口内が乾いてカラカラなのがわかる。
俺はまた同じことを繰り返すのか。ここでもまた逃げるのか。さっきまで俺は自分の意志でここに来ていたのに。
「俺の決意なんてそんなもんだったのか。俺の意志なんてそんなちっぽけなもんだったのか……」
「――自己嫌悪モードのところ失礼します。少しログ見て欲しいと」
イホリンの声に促され眼を向ける。
絶えず更新されていくログモニター。イホリンが周囲の情報を知覚し、取捨選択した会話の数々。
その最後の末尾にはこうあった、見覚えのある名前で。俺は震える口で音読する。
「――そうよ、アンタはちっぽけな存在よ! どうしようも無いくらいのどうでもいいくらいのね。
アンタが何をしようとどうしようと別に誰もなんとも思わない。もし、他の誰かがアンタに期待しようと私は何も期待しない。どうせ、またいつもみたいに言い訳考えて逃げようとしてるんでしょ。
私はそんなアンタのどうしようもないとこ嫌いなの。
――特にそう思ってるときに限ってアンタは何かやってくれるとことかね!
だから――」
そこでログは途切れる。きっと周囲の過酷な状況変化でイホリンの知覚に障害が起きているのだろう。知覚した情報を瞬時にマダムに送り、統計化後、お嬢に渡すのがメイン。他はあくまでオマケでしかない。情報過多で警告アラームがログの所々に浮かんでるくせに気遣いを遣すイホリンに感謝する。
「――だからか。ありがとな、イホリン」
「否、私ではなく彼女に感謝するべきかと」
俺は答えず苦笑で歯を噛む。もうさっきまでの震えは収まっている。
「――まぁ、元気出せよな。フラグ立ちまくりだったのにドンマイ。
よっしゃ、ヘタレが"フラれた"のを見届けたことだしいっちょ、八つ当たりに行くぜ!!」
「今の何処をどうみたらそんな展開になるのよ!? さすが君は馬鹿だね。キングオブ馬鹿!」
「そう! 俺はキングだ。だから俺最高 ……って馬鹿じゃねぇ――ッ!!
って、何笑ってるんだヘナチョコ!」
「フケ顔が馬鹿だからだと判断しますと。マダムの統計では99.その後に9が果てしなく並んで……
めんどいので100%とします。いいですね? いいですか。では、決定と」
「くぉら! イホリン、お前も喧嘩売ってるのか! 難しい言葉並べて馬鹿にして!」
「否、単純に判りやすい言葉で馬鹿に説明しているだけですっと」
ナーバスな展開からいつもの馬鹿騒ぎを始めた面々に俺はたまらず声を出して笑う。さっきまでの憂鬱が嘘のようだ。これから俺がやることで結果はどう変わるかわからない。最高の結果になるかもしれないし、最悪の結果が訪れるかもしれない。
でも、誰も何も期待していない。ただ、居たいから、何かやりたいからここに居る。自分の意志で何かをやり遂げたい。ただそのために好きでこの場にいる。
「アハハハ、笑いすぎて腹が。もうこれ以上お前らやめとけって。戦って死ぬ前に、笑い死ぬ。お前ら本当に有り難いよ。さっさと終わらせて早めの朝飯にしようぜ。それとな――」
俺は再び、白い機体を走らせると巨大な無数のいびつに歪んだ鱗で覆われ、雲を帯び、風と雷雨を生む敵に挑む。
その後に黒の機体が続く。
近づくにつれ増す、異常と嵐を生む現象『竜』に挑む。
マダムの統計やその他の歴史的記録からも結果は明白。敗北=失敗確率はさっきフケ顔が馬鹿だという話で出ていたのと同じもの。そうだとわかっていても、いや、わかっているからこそ俺達はこの場にいるんだ。
結果はわかっている
でも、それは苦じゃない。昔とは違う。昨日とは違う。さっきとも違う。
俺は自分の意志でここにいる。誰の強制も期待も無く。
――俺はここに来て
――こいつらと出会って
――アイツと出会って
――だから、俺は、
「さっき話の流れでうやむやになってたけどな。俺とアイツはな……」
そういうなり白と黒の機体は濃密な雲へと消えた。
今だ吹き荒れる嵐の真っ只中へと。
それと同時、寂れ、煩雑な機械や部品、本が散らばる窮屈な室内のコンソールと、
そこより遠く、嵐の影響の少ない荒地で声を張り上げ人々を先導する少女が首から提げた携帯の画面の二つにはこう映った。
『――ただの友達さ』
それに気づき、眼を窄め、潤ませ、視線を落とす。
しかし、すぐに目元を拭い、強気の顔に戻し、少女はそっと呟いた。
「――バカ」
その声は遠くとも一頻り強く吹いた風の音にかき消される。
『リトルカンパニー(朝飯前に)』(了)
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